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高松高等裁判所 昭和54年(う)310号 判決

被告人 口田政規

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二〇万円に処する

右罰金を完納することができないときは金二、五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、記録に綴つてある今治区検察庁検察官事務取扱検事八木廣二作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する弁護人の答弁は、弁護人山中順雅作成名義の控訴趣意に対する意見書に記載のとおりであるから、これらをここに引用する。

第一検察官の論旨は、本件公訴事実すなわち

被告人は西日本石油瓦斯株式会社天保山営業所に勤務して、プロパンガス及び石油類の配達給油等の業務に従事するものであるが、昭和五三年三月二三日午前一一時ころ、軽四輪貨物自動車に電動式コンプレッサー一台及びA重油を積載して運転し、今治市常盤町四丁目九の四、清水クリーニング店(経営者矢野明)前路上に至つて駐車し、同クリーニング店にA重油約二〇〇リツトルを同店表側に設備されている給油口から店内ボイラー用タンクに給油するため、右コンプレツサーの吸入側ホースをドラム缶に連続し、送油側にビニール製ホース(直径約三・五センチメートル)を接続し、その一方を前記クリーニング店表側給油口に連結し、更に右コンプレツサーの電源コードを延ばして同店カウンター(高さ約八二センチメートル、幅約八〇センチメートル)のところで右矢野明に依頼して石油ストーブの近くのコンセントに挿入を受けたのち、右コンプレツサーを始動させてドラム缶内のA重油二〇〇リツトルを右店内ボイラー用タンクまで給油しようとしたが、石油類は引火しやすい危険物質であるから、前記石油ストーブを消火するはもちろん周囲の火気の有無を点検し、かつ、右給油口のバルブが開かれていることを確認したうえ右コンプレツサーを始動し、火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前記石油ストーブが点火されているのを看過し、かつ右給油口のバルブを開くのを失念し、閉鎖の状態にあることに気付かないまま、右コンプレツサーを始動して給油を開始した過失により、前記給油用ビニール製ホースが破裂してA重油が周囲に飛散して、前記石油ストーブの火が引火して一瞬のうちに燃え広がつて火を失し、よつて前記清水クリーニング店等が使用し矢野明外三名が現在する阿部真治所有の瓦葺木造二階建一棟(延面積約二八六・三三平方メートル)を焼燬したものである

との公訴事実に対し、原判決は被告人には清水クリーニング店側の給油口の開栓を失念したまま給油を始めたため、送油管の一部であるビニール製ホースを破裂させて、A重油を漏出させたことに給油作業上の過誤があるとはいえ、本件火災発生の点までの予見可能性がなく、その結果発生を回避することができなかつたと判断して無罪を言渡したが、原判決の右認定は証拠の取捨選択及びその評価を誤り被告人の注意義務の範囲、結果予見可能性の有無に関する事実を誤認したものである。すなわち

一  原判決がA重油を顧客の店舗等へ配達給油する業務従事者に課せられた注意義務に関し、A重油の引火性がさして高くないうえ、通常これを燃焼させるのは霧状の粒子にして空気と混合させるものであるのに、右配送給油業務は液体状のまま、その引火点より遙かに低温な家屋外で行つていたことを根拠として、火災発生の具体的な危険があることを窺わせる特別な事情もない本件では、給油口の開栓を忘れたまま給油を始めたため、ビニール製ホースの一部に裂け目を生じさせ、重油を漏出させたことに過誤があつても、被告人には当時、火災発生を予見できなかつたといえるから、右の過誤は業務上失火罪の過失とは認められないし、また被告人に火災発生の予見可能性がない以上、清水クリーニング店内へ立入り火気の有無を点検したり、その火気を消火すべき注意義務を認め得ないと判断したのは、A重油が火気に対して甚だ危険なものであることを看過して、同重油を配達給油する業務者に課せられた注意義務に関する事実を誤認したものである。すなわちA重油はその引火点が六〇度以上であり、常温下では何らかの火気で加熱されない限り引火するものでないとはいえ、現在の社会生活面で石油、ガス、電気、煙草の火などが随所にあり、A重油の取扱いを誤つて、これらの火気に触れるなどすれば、その引火点程度に加熱される機会は少なくないから、火災発生の危険性が大きいうえ、A重油に引火した場合には液温が高いため泡や水をかけて消火しようとしても、その液温で水分が沸騰蒸発するなど、消火面でも多大の困難が伴うものである。このためA重油は消防法において、ガソリンなどと同様に発火性または引火性を有する第四類危険物とされ、同法は右危険物の取扱者に対し、危険物の規制に関する政令二四条八号により、容器等から漏出飛散などさせないよう取扱うべき注意義務を負わせるとともに、同政令二五条一項四号で、「第四類の危険物は炎、火花又は高温体との接近を避ける……こと」と規定して、その取扱に際し、火気を遠ざけるべき義務を課しているのであつて、A重油の配達給油は右取扱いの一環であるから、その業務従事者には右両注意義務が課せられていることが明らかである。

二  原判決が被告人には本件火災発生につき予見可能性がなく、したがつて、これに伴う結果回避義務もないと判断した根拠事由に関し、次のとおり事実誤認がある。

(一)  原判決が被告人において給油口の開栓を失念したまま給油を始めたことによつて、その送油管であるビニール製ホースが破裂したのは偶発的な事象であると認定したのは、事実誤認であつて、右ビニール製ホースは使い古されて屈折部等に損傷があつたし、当時、八・八度という寒冷な気温のためビニールの弾力性が脆弱となつていたところへ、そのホースの出口を閉鎖したままコンプレツサーの作動により重油を注入したのであるから、その強力な油圧が作用することにより、ホースの損傷部など抵抗力の弱い個所に裂け目が生じて、破裂すると予測されるのが、むしろ日常の経験則に合致する合理的な判断といえるのであり、

(二)  原判決が右ホースの裂け目から噴出した重油が適量な空気と混合し霧状となつて飛散したのを偶然の事象であると認定したのは事実誤認であつて、一般家庭の日常生活面でも、使い古したビニール製ホースで送水している際などに、ホースのねじれ部や屈折部に裂け目が生じると、その狭い裂け目から噴出する水が霧状に拡がりながら周辺に飛散することを、しばしば経験したり目撃もされるのであり、本件ビニール製ホースの裂け目から噴出した重油が霧状に拡散したのは、右の日常的な経験と全く同じ現象であつて、極くありふれた事象というべきであり、

(三)  原判決が、噴出した重油が一つの方向にまとまつて清水クリーニング店舗内へ飛びこみ、カウンター越しに、その奥にある石油ストーブ上に飛散したのを偶然の事象であると認定したのは事実誤認であつて、原判決説述のとおりの同店舗入口付近の開戸状況、石油ストーブとカウンターの位置形状及び本件ビニール製ホース中、破裂が生じた位置形状などを総合すれば、右裂け目から強力な油圧作用によつて、外部へ霧状になつて噴出されるA重油が場合によつては、開放されている同店舗表口から店内へ飛びこみ、店内のカウンター越しにその奥におかれていた石油ストーブ上へふりかかることもあり得ることは容易に予想できることであつて、右事態が生起する可能性は高いといい得るのである。

右のとおりで、被告人が給油口の開栓を失念したまま給油を開始した過誤にもとづき本件火災が発生するに至つた過程で順次生起した右(一)ないし(三)の事象は、いずれも通常人の日常生活での経験に照しても、その結果発生を容易に予測できるものばかりであり、石油類取扱者以外の一般人でさえ、被告人の右過誤によつて本件火災が発生するかも知れないことを容易に予見できるといえるのであり、加えて、被告人は石油類の配達給油業務に従事する者として、前記危険物の規制に関する政令二四条八号により、本件A重油を送油管であるビニール製ホースから外部へ漏出させないよう措置を尽すべき業務上の注意義務があるから、これを怠ると火災事故を惹起するかも知れない危険性があることを、通常人より一層よく認識予見できた筈であるし、またそのように認識予見して石油類を取扱うべきことを要求されているというべきである。従つて、被告人の給油作業の誤りと、本件結果発生との間に右のような不幸な事情の積み重なりがあつても、被告人には結果発生の予見可能性もあり結果回避義務も優に認めなければならないのである。

三  原判決が、被告人は本件店舗内で石油ストーブが現に使用されているのを認識できる状況ではなかつたし、たとえ右火気の使用を認識してもこれを消火すべき注意義務を課し得ないと判断したのは、右注意義務の存否に関する事実を誤認したものである。(一)、同店舗の周辺には小店舗や住宅が密集しており、しかも当時は八・八度という低気温であつたことからも、これら店舗住宅には暖房用も含めて諸種の火気が現に使用されていることを当然予測できたうえ、況して被告人は火災予防上、危険なA重油を配達給油する業務に従事する者として、右店舗内の火気の存否には通常人以上に関心をもつべく要求される立場にあつたから、同店舗内の火気使用を一層容易に認識予見できた筈であり、(二)さらに前記危険物の規制に関する政令二五条一項四号によりA重油の取扱には火気を遠ざけるべきことを義務づけられていることにかんがみると、被告人は本件店舗内に火気があるのを目撃しなかつたとしても、極力火気の有無を点検して、右石油ストーブを消したうえ、給油を開始すべき業務上の注意義務があるというべきであるのに、原判決が被告人の給油作業場所が屋外であつたことを根拠として、直ちに火災発生の具体的な危険を窺わせる特別な事情がなかつたとして、被告人に右家屋内の火気点検及び火気消去義務を課し得ないと判断したのは、石油類の配達給油業務の注意義務に関する消防法規の無理解にもとづく誤つた見解であるといわなければならない。

したがつて、原判決は採証法則を誤つた結果、被告人の過失の有無に関する事実を誤認して、有罪たるべきを無罪としたものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

第二  そこで所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を加えて検討すると、本件の主たる争点は、清水クリーニング店側の給油口の開栓を失念したまま給油を開始した被告人の過誤が、直ちに本件火災事故の刑事責任を問擬するに足る過失と認められるか否かに関して、被告人は本件当時、右過誤により火災が発生するかも知れないことを認識予見していたか、そうでなくても、その予見ができたと認められるか否かという点及び被告人が清水クリーニング店舗内の火気の有無を点検し、当時、使用中であつた石油ストーブを消さなかつたことが本件火災事故の刑責を問擬するに足る過失と認められるか否かという二点に帰するものであり、店舗側の給油口の開栓を失念したまま給油を開始した過誤と本件火災発生との間に因果関係があることも含めて、その余の外形的事実及び右争点に関する事実以外の本件火災発生に至るまでの経緯に関して、原判決が説述する諸事実を、すべて肯認することができ、右の争点に関する関係証拠を吟味し考察すると、結局、検察官の所論中、被告人が給油を始めるにあたり、右店舗内の火気の有無を直接点検し、使用中であつた石油ストーブの火を消すべきであるとの所論は採用できないが、その余の所論はいずれも是認できるのであり、それらを総合すると、被告人に有罪を肯認するに足りるものと認められる。以下、所論にかんがみ、その理由を説明する。

1  所論一及び三の(二)の、原判決がA重油を給油する際、近辺の家屋内における火気の点検、消去義務を否定したのは事実誤認であるとの主張について

A重油はその引火点が摂氏六〇度以上であるが、一般社会生活において、右程度に加熱できる火気は多種多様に使用されており、放置すれば、A重油を取扱う際に、右の火気に接触するなどして引火する機会が少なくないことも予想されるし、引火すればA重油の液温が高くなり(沸点は摂氏約三〇〇度以上)、消火に困難が伴うことなどのため、火災の予防、警戒、鎮圧等を目的とする消防法により、A重油は引火性又は発火性を有する危険物として、第四類危険物中、乙種危険物第三石油類第一種中に指定され、その取扱等についての技術的基準が同法にもとづく危険物の規制に関する政令により設定され、同法一〇条三項により製造所、貯蔵所又は取扱所における火気との関係における取扱基準が同政令二五条一項四号に規定されており、危険物としてかかる取扱規制規定のあるA重油を取扱う者としては、火気の有無に配慮して火災予防に努力すべきはいうまでもないところである。ところで検察官は本件の場合、被告人としては右法令の趣旨にしたがい、清水クリーニング店舗内の火気の有無を極力点検してその内部の火気を消したうえで給油を開始すべき注意義務があると主張する。しかし同店はA重油の需要購入者ではあつても、右法令等により取扱者による屋内火気の点検やその火気除去を認容すべき義務を課せられるものでないことが明らかであるのみならず、却つて屋内における火気点検及び火気除去を受忍することなく、店舗外面へ設けている給油口から、重油を店舗内のタンクへ安全に配達給油するよう要求できる立場にあるといえるから、通常の生活形態として屋内で石油ストーブを燃していた同人が、たとえ、その配送者である被告人から屋内の火気点検及び消去方を要請されても、ただそれだけではこれを任意に拒絶したとしても非難されるいわれはないといわなければならない。したがつて、たとえ当時、被告人が同店舗内に火気があることを認識し、あるいはその予見ができたとしても、また現実に同店内で石油ストーブが使用されていたことが本件火災発生の一因ではあつたけれども、これがため、消火しておかなければ火災発生の危険性が認められるという特段の事情があれば格別、そうでなければ被告人に対し、同店舗内にある火気消去義務を課するのは難事を強制することになるし、他方、被告人に取扱上、要求されている危険物漏出抑止の注意義務を尽させる(これが難事を強いるものでないことは明らかである)ことにより、火災を防止できることをも考え合わせると、本件のような場合には、重油取扱者に対し、前記取扱基準があつても周辺家屋内の火気消去義務まで課するのは相当でないといわなければならない。もつともA重油を給油する者としては、その危険物であることにかんがみ、付近の火気の有無を確認する注意義務は存するものといわなければならない。しかし本件は屋外での給油作業である。そして本件ストーブは清水クリーニング店の屋内に、しかも店のカウンターの内側に接しておかれていたものである。たとえ同店の表間口が解放されていたとしても、屋外で店舗外面に設けられている給油口から給油する者に対しては、右のような屋内で他人が使用しているかも知れない火気の存否を直接確認しなかつたからといつて、直ちに注意義務違反であるとするわけにはいかないと考えられる。しかし後記のように、本件現場は住宅店舗が密集している地域であり、時季、気温等よりみても、当然付近の人家内で火気が使用されていること、特に開店営業中の清水クリーニング店内で使用されていることを予見すべき状況にあつたのである。従つて、寧ろ逆に、重油を取扱つている個所の周辺に全く火気がないと確認できたならば格別、そうでない限り、このような危険物の取扱者としては当然、周辺の人家内に火気があり得ることを配慮した確実な給油作業をなすべきなのである。即ち本件のような場合において、火気があり得るだけの配慮をしたA重油の取扱をすべきであり、そうした配慮をしたとしても、なお、火災発生の予見されるときに始めて、火気を消すべきか否かの問題になるのである。本件において石油ストーブを消火しておかなくても、被告人が付近に火気のあり得ることをも配慮して、重油送入途中における漏出抑止のため、作業上の手順措置を確実に完了しておきさえすれば、火災発生を未然に防止できたことは明らかである。他に本件において、予め石油ストーブの消火をしておかなければ、被告人のA重油取扱に関する配慮のみでは火災発生の危険を防止できないとするような特段の事情は見当らない。所論引用のピストル型ノズルを使用し重油を給油していた際に生じた火災事故については、付近にあつたというバーナーが取扱者の自由に除去できるものであれば、火気除去義務違反の過失もあるといえようが、そうでなければ重油漏出抑止義務違反はあつても、火気除去義務違反は認められないから、所論を支持できる資料とはいえない。検察官のいうような周囲の火気の有無点検義務はもち論肯定するが、さればといつて、本件ストーブが点火されていることを確認しなかつたからとか、その火気を消さなかつたからといつて、これを被告人に失火責任を問う過失であるとすることはできないのである。それ故、被告人に対し清水クリーニング店舗内の火気点検及び消去義務を否定した原判決の見解を是認することができ、本所論は理由がない。

2  所論の一、二の、原判決が被告人には清水クリーニング店側の給油口の開栓を失念したまま給油を開始した点に過誤があるとしながら、(一)右給油口閉鎖のままコンプレツサーを作動させてもビニール製ホースが破裂したのは偶然の事象であり、(二)そのホースの裂け目から噴出した重油が適量な空気と混合して引火しやすい霧状となつたのも偶然であり、(三)右霧状になつた重油が清水クリーニング店舗内へ飛び入り、同店内の石油ストーブ上にふりかかつたのも偶然であるとして、偶然のうえにも偶然が重なつたので、被告人には火災発生の認識予見がなかつたのはもとより、その予見ができなかつたと判断して、過失を否定したのは事実誤認であるとの所論について

消防法にもとづく前記政令二四条八号で、危険物を取り扱う場合には、これがもれ、あふれ、又は飛散しないよう努めるべき旨規定されており、右漏出抑止義務は本件のような危険物の取扱いの場合についても、支障がない限り遵守されるべきは条理上、当然であるといわなければならない。ところで原判決が右(一)ないし(三)の各事象の生起が偶然であるとしている意味は必らずしも明らかでないが、偶然の語義を起り得る場合の確率が比較的小さいとの意味で使われているとすれば、右の各事象が生起するのはいずれも偶然であると一応いい得るであろう。しかしながら、各事象の生起が偶然であつても、あるいはその偶然の事象が一時に重畳的複合的に生起しても、またこれらが極く短時間内に連続的に生起しても、直ちにその事象ないし結果発生の認識予見があつたこと、そうでなくてもその予見ができたことを否定すべき証左とはいえないのみでなく、給油口の開栓を失念したまま給油を開始した過誤により本件火災が発生するに至る途中の過程で、偶然の事象が複数生起したことにより、火災が発生する危険の割合(確率)が小さかつたとしても、その危険発生が認識予見されていた以上、そうでなくてもその予見ができた以上、A重油の配達給油業務に従事する被告人としては、火災発生の危険を防止するため、重油漏出抑止義務を尽すべき業務上の注意義務があるというべきであつて、その各事象ないし結果発生についての認識予見の存否ないしその予見が可能であつたか否かを判断するにあたつては、事象生起の物理的因果関係を認識想定することの難易性、当該ないし類似の事象が生起する頻度、被告人の事象に関する知識経験さらには一般通常人の経験則を総合して判断すべきであるから、以下この視点から考察する。

右(一)、(二)、(三)の事象は殆んど瞬時といえる間に順次、接続して生起したものであるところ、その原因経緯は、清水クリーニング店舗側の給油口を閉鎖したまま、電動コンプレツサーのポンプを作動させてA重油をホース内へ注入し続けたため、ポンプの作動によつて逐次加わつた強力な油圧が、最も弱かつたビニール製ホースの一隅をとらえて長さ約一・八センチメートルの線状に破裂させ、その裂け目から右油圧の作用で、さして粘着性のないA重油を噴出飛散させたというものであつて、その物理的因果関係を察知することが当時、さして困難でなかつたことは、被告人において重油の飛散をみるや直ちにわが身を右ホースの裂け目に当てがうとともに、コンプレツサーのスイツチを切つて、右重油の噴出をとめたことや、当時、店舗内にいた同店経営者も、石油ストーブ上で火災が燃え上るのをみて、給油口の開栓を忘れて給油を開始したため重油が飛散してきたと直ちに察知できたことに徴して明らかである。次に事象が生起する頻度については、原審証人矢野明に対する尋問調書及び当審証人角森孝光の証言により、清水クリーニング店では過去三年間に本件と同様の仕様で重油の供給を受けているが、ビニールホースの一端が他管との接続部から外れて重油が外部へ流出した事例が三回あつたこと、他の業者の取扱例ではコンプレツサー・ポンプの容液送入能力が弱いものを使用し、その場合には送油管を閉鎖したまま、コンプレツサーを作動させてもその作動が自動的に停止する例もみられることが認められるにとどまり、ホースの末端部がその接合している他管から外れるか、コンプレツサーのポンプが自動的に停止するか、あるいは本件のようにホースの一隅が破裂するかは、ホース両末端の他管との接合部の締めつけ固定具合の強弱、コンプレツサー・ポンプの容液送入能力の大小、ビニール製ホースの油圧に対する抵抗力の強弱の相関関係によつて、三事象中そのいずれかの一事象が生起するのであつて、いずれの事象が生起するかは、肉厚のゴム風船を口でふくらませる場合と同じく、一概には決定できないと経験則上認められるから、原判決が通常ならば、コンプレツサー側のビニールホース接合部が最も弱いとか、通常ならば右接合部が外れると認定したのは、証拠にもとづかない恣意的判断であり、正当でないといわなければならない。加えて、本件ビニール製ホースは相当に使い古されたものであるし、その性質形状(長さ三メートル余、内径三・二センチメートル、肉厚三ミリメートル)及び用途にかんがみ、これを中途で二つ折れにしたままにしておくことも稀れでなく、その屈折部に損傷が生じて、油圧への抵抗力が脆弱な個所も生じていたであろうことを考え合わせると、右ホースの肉厚が三ミリメートルという相当に厚いものであつても、その両末端部の締めつけ固定具合及びコンプレツサー・ポンプの容液送入能力がそれぞれ強かつた場合には、ホースの脆弱になつている個所が増大した油圧の力に堪えきれず破裂するであろうことを想定予見することは、一般通常人にとつても決して困難ではないと認められる。さらにホースに裂け目が生ずると、内部に強い圧力で注入されている溶液はその粘着性が強大でなければ、裂け目から外部へ噴射されるし、その噴射される方向は裂け目に対し必らずしも限定された方向であるといえず、周辺全部の広範囲にわたる場合もあり得ること、斜上方に向けて噴射された液体は空中をほぼ抛物線上に飛ぶから、本体のように噴出点から水平に四・三メートル離れた店舗内に石油ストーブがあり、両地点の中間に高さ〇・八メートル余、幅〇・八メートルのカウンターがあつて一応隔離されていても、そのカウンター上を飛び越えた飛沫が石油ストーブ上にふりかかることがあり得ないことではないことは、通常人の常識からも容易に認識想定される事象であるうえ、被告人は高等学校卒業で、多年、農協や造船所へ勤務してプロパンガス等の取扱いに従事し、その間に第一種圧力容器取扱免許等を取得し、本件より三ヵ月以前から石油ガス販売会社に雇われ、本件までに五、六回以上、A重油を顧客のタンクへ電動コンプレツサーで給油した経験があり、A重油がさらつとした液体で粘着力が殆んどないものであるのを知つていたことを総合すると、被告人が捜査官に対し、「バルブを閉めたまま給油すると、ポンプの圧力でホースが裂けて、重油が漏出することは良く判つていた」と供述しているところは十分に信用できるものと認められる。被告人は原審公判廷では右供述を飜えし、ホースが裂けることも、その裂け目から噴出した重油が屋内へ飛散することも全く予想していなかつた旨供述しているが、右供述の真実性を裏付けるべきものがないし、本件の際、被告人は重油の噴出を知るや、即座にコンプレツサーの電源を切つて重油の噴出を止めたことなどに比照して、右公判廷の供述があつても、本件当時、少くとも被告人に(一)(二)(三)の事象生起についての予見可能性があつたことを到底、否定できないものと認められる。そうすると、原判決が被告人としては、ホースが破れ、しかもその穴から噴出した重油の飛沫が店内へ飛び込むことなど予想だにしなかつたと認定し、(一)、(二)、(三)の事象が生起したのは、被告人にとつて予想を越える事態であつて、予見不可能であつたと判断したのは、事実を誤認したものといわなければならない。本所論はすべて理由がある。

3  所論三の(一)の、原判決が被告人には清水クリーニング店内で石油ストーブ等の火気が使用されていることを認識できる状況でなかつたと判断したのは事実誤認であるとの主張について。

本件火災現場は住宅店舗が密集している地域である。しかも本件当日の三月二三日前後ころは時季的にみて、石油ストーブなどの暖房使用が未だ完全に打ち切られているとは限らないし、当日の外気温は八・八度という低温であつたのである。そのこと自体で、付近の人家内で火気の使用されていることが予見できるのであり、危険物取扱者としては当然これを配慮したうえでの取扱をなすべきである。就中、当時、清水クリーニング店は開店経営中で来客があることも予想されることなどにかんがみ、被告人には同店舗内で暖房用火気が使用されているかも知れないことを客易に予見できたものと認められる。被告人が同店へ重油配達にくるまでに外気にあたり続けていたため、さして寒く感じなかつたとしても、被告人に右火気使用を予見できたことを否定するに足るものといえない。本所論も理由がある。

以上説述したとおり、検察官の所論中、被告人の周辺家屋内の火気の直接点検及び消去義務に関する主張を除くその余の所論はいずれも理由があり、右理由があるところを総合すると、被告人は本件給油作業にあたり、その重油漏出抑止義務を怠れば、噴出飛散するA重油の飛沫が清水クリーニング店を含めた周辺の人家内にあるかも知れない暖房用などの火気により引火して火災を惹起するかも知れないことを予見できたものといえるから、畢竟、本件公訴事実は周辺家屋内の火気の直接点検及び消去義務に関する部分を除き、これを肯認できるのにかかわらず、原判決は証拠の取捨選択及びその評価を誤り、被告人の過失の有無に関する事実を誤認し、犯罪の証明がないとして無罪を言渡したものであるから、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであり、検察官の論旨は理由がある。

第三  よつて刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により直ちに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、西日本石油瓦斯株式会社天保山営業所に勤務し、顧客に対するプロパンガス及び石油類の配達給油等の業務に従事中の昭和五三年三月二三日午前一一時ころ愛媛県今治市常盤町四丁目九の四、清水クリーニング店(経営者矢野明)前路上において、同所に駐車させた軽四輪貨物自動車に積載中のドラム缶内のA重油約二〇〇リツトルを同店舗表路上側に設備されている給油口から店舗内のボイラー用タンクへ給油すべく、右自動車荷台上の電動式コンプレツサーの吸入側ホースをドラム缶へ連結し、その送油側にビニール製ホース(内径三・二センチメートル、肉厚三ミリメートル、長さ三メートル余。昭和五四年押第一一六号の1)の一端を接続し、他端を同店舗表側の前記給油口に連結し、コンプレツサーの電気コードを同店経営者へ手渡して同店舗内の電源と連結して貰つたうえ、コンプレツサーを作動させて給油を開始するにあたり、その重油が送油管などから外部へ漏出して周辺へ飛散すれば、周辺の人家内にあるかも知れない火気により引火して火災が発生する危険があることを予見できたのであるから、重油送入途中における漏出抑止のため作業上の手順措置を完了したうえで、送油を開始し、火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、不注意にもこれを怠り、店舗側給油口の開栓を失念し、同個所で送油管が閉鎖されたままの状態であるのに気付かないで、電動コンプレツサーを作動させて、ドラム缶内のA重油を送油管へ送入し始めた過失により、コンプレツサー・ポンプの作動によつて増大した油圧の力により、送油管の一部分である前記ビニール製ホースの一隅に長さ一・八センチメートルの線状裂け目を生じ、その裂け目より同ホースにたまつていたA重油を外部へ噴射飛散させ、同店舗内のカウンター脇にあつた石油ストーブの火気上にふりかからせて引火し、瞬時に周辺の衣類等を燃え上がらせて火を失し、よつて清水クリーニング店等が使用し矢野明外三名が現在する阿部真治所有の木造瓦葺モルタル塗り二階建店舗一棟(延面積約二八六・三三平方メートル)を焼失させて、これを焼燬したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一一七条の二、前段、一一六条一項、罰金等臨時措置法三条一項に該当するところ、本件犯罪の性質、過失の態様程度、被害額、その弁償が未了であること、被告人の反省の情、前科前歴がないことなど各般の事情を総合勘案して、所定刑中、罰金刑を選択したうえ、その所定金額内で被告人を罰金二〇万円に処し、換刑処分につき刑法一八条、原審の訴訟費用につき刑訴法一八一条一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊東正七郎 滝口功 佐々木條吉)

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